【独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)熊本総合病院病院長 島田信也】
熊本総合病院は、熊本県八代市にある344床の急性期病院である。4月中旬に起きた「平成28年熊本地震」(以下、熊本地震)では、八代市は3度の強・烈震(前震:震度5弱、本震:震度6弱、日奈久断層南部震源:震度5強)を受け、当院から道路を隔てた市役所本庁舎は損壊し、使用中止を余儀なくされている。ただ当院は、3年前に新築移転を済ませていたこともあり、今回の地震で施設ならびに機器に対する損傷は軽微だった。当院を例に、被災地における病院の対応をまとめてみたい。
今回のような大地震が熊本で起こるとは誰もが予想だにしなかった。ところが、歴史を紐解いてみると、約400年前に八代と熊本を震源(M6以上)とする地震がそれぞれ起こっている(いずれも日奈久(ひなぐ)断層が影響したとみられている)。1619年に八代でおこった地震では麦島城が崩壊し、熊本の地震(1625年)では熊本城の火薬庫が爆発し石垣が崩落している。この地震では50人の死者が記録されている。また、1889年には、M6.3の地震が起き(布田川(ふたがわ)断層の影響と考えられる)、この時でも熊本城の一部の石垣が崩落し、家屋も多数全半壊したほか、20人の死者が出ている。
恥ずかしながら筆者は、断層は全国に2000もあるので、ひとたび地震が起これば新たに断層ができるという程度に考えていたが、プレートやトラフがある地域だけでなく、構造線の活断層が存在する近隣地域でも、医療を含め地震対策が極めて重要と痛感した。
2 地震の特徴
今回の熊本地震の特徴として、
①日奈久断層と布田川断層とが熊本市近郊で交差するという地形の下で発生した=図1、写真1=
②最大震度7(益城町)を記録する前震(4月14日午後9時26分)と本震(4月16日午前1時25分)が発生した=図1=
③2回の激震によって、1回目は耐えた建物も2回目で崩壊し、犠牲者が増えた=表1=
④本震は阪神・淡路大震災と同じM7.3であり、九州では史上最大の地震となった
⑤2度の激震に続いて、八代地方を震源とするM5.5の地震(4月19日午後5時52分)が連動した(日奈久断層南部の影響による)=図1=
ことが挙げられる。
図1 布田川・日奈久断層帯と熊本地震における震源(熊本県内)
写真1 熊本地震による甚大な被害
(上図:熊本市東区の延々と続くブルーシートで覆われた損壊家屋[熊本日日新聞社2016年5月5日]、下図:壊滅的な熊本城[西日本新聞社2016年5月11日])
この「熊本地震」の前震、本震ならびに連動地震によって、49人が死亡し、1人が行方不明である=表1、5月16日時点=。家屋倒壊死は37人であるが、その内訳は前震7人、本震30人で、大地震が繰り返されると、いかに家屋の崩壊を加速させることが明らかとなった。
立ち入りが「危険」と判定された建物の数は、4月末時点で1.3万棟であり、応急危険度判定を行った建物の27.9%を占めている。また、災害対応の司令塔となるべき自治体庁舎が被災し、益城町、宇土市、八代市、人吉市、大津町の市庁舎が倒壊の恐れがあるとされて機能を失った。さらに、土砂災害による死者9人というのも、火山灰で形成されている阿蘇地域に特有の状況であろう。
医療にも深く関係するライフラインでは、熊本県内で水道の断水が3万3600世帯に及んだ(4月24日時点)。熊本市内では2週間で復旧したが、益城町は約1カ月を要した。電気は1週間後には復旧したが、ガスは2週間を要した。交通では、熊本空港が4月16日から18日まで全便欠航したものの、19日から一部運行を開始、新幹線は脱線があったにもかかわらず4月27日に、九州自動車道は4月29日に全線開通している。
表1 熊本地震のあらまし
3 医療における被災の状況
警察庁によれば、熊本県の医療機関を受診した震災関連負傷者は総計1431人(重傷者320人)となっている(4月28日時点)。また、熊本県内の医療施設(病院、診療所)1685施設のうち、倒壊や損壊、給水管などのライフラインが被害を受けたのは234施設に上った(4月18日時点)=表2=。特に、益城町の3病院、熊本市内の2病院、南阿蘇・大津町・八代市の3病院では入院患者の診療が不可能となり、県内外の病院に患者搬送を行った。
また、震災による断水と機器の損壊による影響が特に大きい人工透析については、熊本県内の94透析施設のうち25施設が実施不能となり、透析が必要な県内の約6300人の患者のうち、300人以上が被災弱者となった。
被災避難所では、エコノミー症候群の発症がクローズアップされたが、入院が必要な重症者は45人に上った(4月30日時点)。
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