【国際医療福祉大大学院医学研究科 循環器内科学 教授 岸拓弥】
■「男女共同参画」という言葉の弊害
「働き方改革」を考える際に、女性医師の働き方が良くも悪くも注目されることになる。前回の記事(最近の若い医者は…という言い方は「老害」にすぎない)に書いた、医師の本音と建前のように、「働き方改革」で得をするのは若手医師と女性医師で、男性の中堅クラス以上の負担が増えるという懸念を、実際に耳にすることがある。医局人事においても、女性医師が増えると産休・育休のために人事が予定外の変更を余儀なくされて困るという意見もある。さらには、人材育成の観点でも、せっかくトレーニングをしてもある段階で医療から身を引く女性医師は少なからずいるため、「それなら男性医師を育てる」という曲解につながっている話も聞く。
これら一連の、女性医師の「当たり前」の働き方が日本の医療ではまだ十分に受け入れられていないことや、女性医師のキャリアパス支援が大学・病院・学会いずれもきちんとできていないことが、女性医師の離職率がいまだ低くないことや産休明けの復職率が十分には改善していないことにつながっている。大変悲しい話であるが、昨今メディアをにぎわせた医学部入試での女子受験者に対する問題の根底には、この問題があると言える。
しかし、事実として医学部新卒における女性の割合は40%を超えていて、医療の現場でも女性医師はすでに重要な役割を果たしている。男性医師だけではできないことや見えないことも、女性医師だからこそできる点が医療現場ではたくさんある。つまり、ライフイベントと医師としてのキャリアパスを並列できる女性医師がいる医療施設は、男性医師だけという偏ったチームよりも診療レベルとしてより高度になることは確実であり、組織としてのレジリエンスも向上すると言えよう。「働き方改革」推進の目安の一つに、女性医師が働きやすいという視点はありうる。
自分のライフスタイルを重視する女性医師を冷やかす言葉として、SNS上で用いられる「ゆるふわ女医」であるが、そんな女性医師だからこそ見えることが必ずあり、一見そのような女性医師に見えても重要なチームメンバーと捉える方が良いのではないだろうか。
一方で、そもそもこの観点で男女という分け方は必要だろうか? 妊娠・出産以外は、あらゆるライフイベントで男女の違いはない。育児における役割は、男女で同じと主張したい。キャリアパスにおいても、個人の人生観や能力・目標に応じて最適化されるものであるが、そこに男女の違いはない。つまり、男女に応じた働き方改革ではなく、個人の働き方とキャリアパスの最適化を図る改革を目指せば、そこに男女の違いは本来ないはずである。その意味で、「男性医師はこうあるべき」「女性医師はこうあるべき」という観念を捨てることも、医師の「働き方改革」には不可欠と言える。
■働き方改革こそダイバーシティ&インクルージョン
筆者は日本高血圧学会の「ダイバーシティ委員会」で活動しており、国内医学系学会では初のダイバーシティ推進宣言(JSH旭川宣言)の作成に携わったが、医療界だけでなく日本全体でいまだ「男女共同参画」という言葉が用いられていることに違和感がある。「男女」という時点ですでに多様性ではなくなっているからである。
また、多様性を受け入れるだけではダイバーシティにすぎず、ダイバーシティ推進で組織のパフォーマンスが向上するインクルージョンまで行かないと意味がない。その観点では、医師の「働き方改革」こそ、ダイバーシティ&インクルージョンを出口戦略にすべきである。そして、多様な働き方を可能とする、タスク・シフティングを積極的に進める経営者のビジョンも問われることになる。
(残り2359字 / 全3909字)
この記事は有料会員限定です。
有料会員になると続きをお読みいただけます。
【関連記事】