【常滑市副市長 山田朝夫】
■15億円の資金不足に陥った常滑市民病院
私は、もともとは、1986年(昭和61年)に当時の自治省に入省した、いわゆる「キャリア官僚」でした。2010年、愛知県常滑市の片岡憲彦市長から、「市民病院を再生し、新築してほしい」との要請を受け、同市に赴任しました。病院の建設や経営に携わった経験はありませんでした。
市民病院はひどい状態でした。建物は、築50年以上経って老朽化し、現代日本の標準的な医療を行うのにふさわしいとは、とても言えませんでした。経営状態も最悪で、繰入金を除くと、毎年7億から8億円の経常赤字が出ていました。一般会計も、「夕張一歩手前」の危機的な状況で、十分な繰出金が確保できません。その結果、どん底の08年には約15億円の資金不足が生じていました。売り上げが40億円に届かないのに、15億円の資金不足です。
築50年を超えていた旧病院
グラフ1 入院収益・外来収益と医師数の推移
■病院側は「赤字が出るのは自分たちのせいじゃない」
経営不振の原因は、次の通りでした。
(1)患者数の減少。市内の人口や患者の絶対数が減っていたわけではなく、市民病院を見放し、他の病院に逃げていたのです。大学医局はそれをよく知っていて、医師を引き揚げて代わりを送ってこなくなっていました。
(2)私が赴任するまでの10年間に、2度にわたって新病院建設計画が延期されていました。そのため、職員は新病院建設をあきらめ、モチベーションは下がる一方でした。
(3)施設の老朽化で、患者さんのアメニティーが悪く、イメージも悪い。
(4)そして、一番の問題は「無責任体制」でした。病院側は「自分たちは一生懸命、市民のために医療を施している。赤字が出るのは自分たちのせいじゃない。赤字はオーナーである市が面倒を見るのが当たり前だ」という考え方でした。行政や議会には医療や経営に関する専門知識がないので、結局病院に任せざるを得ない。しかし、赤字が続くので不満がたまる、というような状態で、誰も責任を取る人がいませんでした。
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次回配信は10月25日12:00の予定です
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