【吉備国際大学 保健医療福祉学部作業療法学科 准教授 京極真】
Q あるスタッフは慢性疼痛を訴える患者さんに「はいはい。特に何かあるわけではないから痛くない、痛くない」などと不親切に対応します。また、別のスタッフに検査追加を依頼したら「えっ!? 今からですか? ? もっと早くいってください!」と怒られました。もうちょい、他の人に対して思いやりある言動をお願いしたいと伝えたら、「くそ忙しい中、何とかやりくりしているんですよ!」と逆に怒られました。こういうときは、どうしたらよいですか?
時間の余裕はこころの余裕です。他者への思いやりに欠けるスタッフがいるときは、忙しくなり過ぎていないかを確認し、時間的な余裕をつくれるように工夫しましょう。
■善きサマリア人の実験
どこの臨床現場も多忙を極めており、それが他人への思いやりを失わせることがあります。少し古いですが、とても有名な実験を紹介します1)。
この実験の目的は、新約聖書の「善きサマリア人」を講話する神学生が、逸話と同じように困っている人を助けるのか、という疑問を解くことでした。善きサマリア人のあらすじは、強盗に襲われたユダヤ人が半死半生の状態で倒れているところに、神に仕える人たち(祭司やレビ人)が通り掛かったものの見て見ぬ振りをしたのに対し、当時軽蔑されていたサマリア人だけが、傷ついたユダヤ人を助けた、というものです。この逸話の解釈にはいろいろありますが、基本的に、立場に関係なく困っている人がいたら助ける必要がある、と教えているわけです。
この実験は、善きサマリア人と同じように、倒れている人を神学生が助けることができるかを調べるものだったのです。
しかし、実験には2つの仕掛けがありました。1つ目は、講堂の入り口に体調不良で倒れている男性を用意したのです。つまり、善きサマリア人の逸話に類似したシチュエーションを実験的につくり出しました。2つ目は、神学生は課題の説明を受けた後、講堂でスピーチするために大学構内を移動するのですが、その際、対象は2群に分けられ、一方には「時間の余裕はあるけど、ぼちぼち移動しましょう」(A群)、もう一方には「時間がないから急いで移動してください」(B群)と、異なる指示が出されたのです。
その結果は、苦しんでいる男性を助けたのは、A群が63%、B群が10%というものでした。対象は善きサマリア人の講話をこれから話す神学生であり、困っている人を助けることへの関心がおそらく通常よりも高い状態です。それにもかかわらず、時間がなく忙しい状態では、多くの神学生が、苦しんでいる人を見て見ぬ振りをしたわけです。忙しいという“文脈”が、他者への思いやりという関心を意識的・無意識的にねじ伏せたのです。私たちは忙しいと、他人への思いやりが欠落してしまうといえます。
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次回配信は10月6日5:00の予定です
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