【赤平市ボランティアセンター ボランティアコーディネーター 黒坂順子】
北海道赤平市(あかびら)は、札幌から北東に100キロほどに位置する石炭産業で栄えた町で、現在は、炭鉱産業遺産を生かした観光に力を入れている。昨年はスノーマン(雪だるま)づくりでギネス世界記録を達成したほか、リアル「下町ロケット」とも言える植松電気(北大との共同研究としてCAMUIロケットを開発)がある。
一方、最盛期には6万人近くだった人口も、現在は11000人ほど。高齢化率も40%を超えている。2007年には、市の財政は危機的状況に陥り、「あかびら市立病院」(当時・赤平市立総合病院)の存続も危ぶまれ、住民には病院がなくなるのかといった不安の声が高まった※。
当時、赤平の住民には「もし病院がなくなったらどうなるだろう」「両親がお世話になったので、少しでも恩返しがしたい」「自分を診てくれる先生に感謝の気持ちを表したい」といったたくさんの想いがあった。
さまざまな不安が渦巻く中、住民は黙って見過ごすことができなかった。そこで住民がボランティアを申し出て、病院のために自分たちに何ができるのかを試行錯誤してきた。スタートから5年半を迎える病院食堂「かあさん食堂 ぼらん亭」を中心に、これまでの取り組みを紹介したい。
※編集注 赤平市は財政状態の悪化で、財政再建団体入りが懸念される時期もあり、病院会計の赤字も2007年度に約29億円に上った。総務省が時限措置(08年度のみ)として公立病院特例債の発行を認めたことなどから、市立病院の不良債務の解消につながった。この間、住民から公立病院がなくなるのではとの不安の声も上がっていたという
さて、この気持ちをどう行動に移していくべきか。病院が大変な中で、ボランティアがいきなり入っていくのはいかがなものか。住民の気持ちを当時の総看護師長に率直にお伝えしたところ、快く窓口になっていただいた。私たちは総看護師長の手が空く時間に何度も出向き、打ち合わせを重ねていった。
2008年7月にまず始めたのが「清拭用タオルたたみ」だった。普段は看護助手さんや看護師さんがたたんでいたタオル。この作業をボランティアが受け持つことで、少しでも入院患者さんや外来患者さんに接する余裕が生まれるのではないかと考えた。
当初37人で活動を開始した。慣れるまでは、看護師さんや助手さんにご指導いただいたが、ボランティアだけで毎日こなすのに、そう時間はかからなかった。
その1年後には、院内案内も行うことにした。患者さんが困ったときに、横にボランティアがいることで安心感が生まれると思ったのが、始まりだった。
初めは2人体制だったが、徐々に1人で行えるようになった。初診の方への案内や再来機の操作方法、検査への誘導や車いす介助などについて研修を受けた上で始めたけれど、マニュアル通りにいかないことも日々の中では起こり得る。後は本人の目配りと気配りにかかっているといっていい。
さらに一年後、今度は食堂を切り盛りすることになった。それまで営業していた業者の院内食堂が店主の体調不良で撤退し、店舗は半年以上空いていたのだ。食堂の明かりが消えると、病院内もなんとも寂しく暗い雰囲気になっていた。市内の飲食業者も名乗りを挙げない状態が続いたことから、ボランティアセンターとして、食堂の運営を提案した。
次回配信は2月10日5:00を予定しています
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