診療報酬の単価は全国一律なため、地価などが高い都心部の中小病院にとって、収支のバランスを取るのは至難の業だ。そんな不利を物ともせず、全国から患者を集めて国内有数の商業地域の病院を守り抜く経営者もいる。【佐藤貴彦、兼松昭夫】
■表参道に開業、銀座線開通より先
JR田町駅から山手線で渋谷方面に向かうと、大崎駅の手前で南西から北西へと進路を大きく変える。五反田、目黒を超えると、やがて日本有数の繁華街、渋谷が見えてくる。伊藤病院(60床)があるのは若者の街、原宿のど真ん中。JR原宿駅と青山通りを結ぶ表参道だ。
初代の伊藤尹(ただす)院長がこの地に診療所を開業したのは戦前の1937年。2年後に病院にした。45年の山の手大空襲で病院を焼失したが、舞い戻って甲状腺疾患の患者を診療し続けてきた。
「開業当時は地下鉄の駅もなく、閑散とした土地でした。そこで甲状腺疾患の専門病院をやるなんて無謀だとずいぶん言われたそうです」と話すのは、3代目院長の伊藤公一さんだ。初代院長を祖父、2代目の伊藤國彦前院長を父に持つ。
初代院長はバセドウ病に興味を持ち、満洲医科大の病院で外科医に転向した元病理医だ。甲状腺疾患の治療で当時から有名だった野口病院(大分県別府市)で腕を磨き、公一さんの祖母の郷里で開業した。
初代院長は公一さんが生まれた翌年に亡くなった。公一さんは2代目院長の父の跡を引き継ぎ、「甲状腺疾患の診療に専門特化する」「学術的研鑽に努める」「民間病院である利点を生かす」の3つをモットーに病院を発展させてきた。
■20年間で初診患者3倍、増収・増益が続く
公一さんが院長に就いたのは98年。2000年代になると、度重なる診療報酬のマイナス改定に苦しめられた。それでも伊藤病院では増収・増益を続けている。
要因は患者の増加で、年間の初診患者数は就任時の3倍超になった。患者の紹介元となる医療機関との連携を強化したり、甲状腺疾患について分かりやすく伝える書籍の監修をしたり、ISO(国際標準化機構)の第三者評価を受けて医療の質向上につなげたり、地道な活動が実を結んだ。
甲状腺疾患の多くは、病状が落ち着いても数年後に再燃することがある慢性疾患で、伊藤病院では患者のカルテをすべて永久保管すると決めている。そうした情報は「まさに“財産”」だと公一さん。一部は戦災で焼けてしまったが、劣化して読めなくならないように紙媒体をマイクロフィルム化するといった工夫を凝らす。
医療通訳者を配置するなど、日本語でのコミュニケーションに不安を抱える患者に対応するための体制も整えてきた。日本に住む外国人患者の利便性を高めるのが目的だ。
歴代院長の在任期間は、祖父が約20年、父が約40年。公一さんは今年20年目を迎えた。10年後か20年後、今は医学生の息子たちに病院を託すつもりだ。
■表参道だからできること、できないこと
表参道は、文化や価値観を世界に発信してきた「古くて新しい街」だと公一さん。その具体例を聞くと「ビクターやエイベックス、ハナエモリ、ビームス、美容室のピーク・ア・ブー」と枚挙に暇がない。老舗に当たる伊藤病院でも、「この街にふさわしい『古くて新しい病院』であり続けること」を目指してきたという。
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