【株式会社オーエイチエム 医業経営コンサルタント 太田憲吾】
前回は、わたしがB市立病院で体験した病院事務局の弱体化と経営悪化、そこからの改革事例を紹介した。この経験と、その後大学院で研究した経営学的裏付けをよりどころとして、2008年4月、わたしはA市立病院の経営を改善するため、非常勤の嘱託顧問に就任した。失敗の許されない改革であり、背水の陣で臨んだ。
病院は、関西圏の都心から電車で1時間の田園都市に位置する。A市の人口は12万人、周辺の市町を含めた診療圏人口は30万人である。病床は300床規模で、脳外科、循環器科、産婦人科、小児科、内科、外科、整形外科など18診療科を有し、24時間救急体制を維持している地域中核病院である。
しかし、医師、看護師の減少により、07年に1病棟を閉鎖。経営の悪化は歯止めが利かず、07年度決算では11億4700万円の赤字となり、まさに危機的状況にあった=グラフ1=。周辺市町では過疎化がひたひたと迫っており、近隣の医療機関も、医療提供体制・能力は弱体化の傾向にあった。それ故にA病院の経営崩壊の危機は診療圏30万住民にとって、かたずをのむ思いで見られていた。
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