【済生会吹田病院 事務長 宮部剛実】
企画部設置から2年を経て、筆者は2000年に他部署(病診連携室)に異動した。その後はKさんの下、広報や患者満足度の向上などに取り組んでいた。
しかし、業務が次第にルーティン化し、企画力が失われていくと考えた当時の事務長は、患者満足度の向上などについては、現場の職員に業務を振り分けた。
企画部のあり方を、病院が取り組むべきことを企画立案するという本来の姿に戻そうとしたのである。
筆者は、病院連携室と用度課を経て、04年8月に課長として企画部に戻り、Kさんと部署のリニューアルに着手した。
当時、当院が目指すべき目標は、地域医療支援病院であり、「医療連携と機能分化」は、この時既にキーワードであった。
Kさんは、地域医療支援病院になるために病診連携室を再編した「地域医療センター」に異動した。承認までの4年間、医療連携にまい進することになる。
その後、企画部の機能は縮小した。再び1人の組織に戻ったほか、さらに当院の競争優位(強み)となっていた第三者評価(病院機能評価や品質・環境ISOなど)は企画部から他部署へ移管され、情報システムは他部署がリードしていた。
新たな経営課題となった人事制度改革も、他部署がメインで推進することになり、企画部の存在感を示しにくくなっていた。筆者も再び、企画部から異動し、後任は一時的に不在になった。そして06年度、当院は過去に経験したことのない業績の悪化に見舞われる。
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