【社会医療法人財団董仙会 本部情報部長 山野辺裕二】
本連載の第4回で、AIやビッグデータの活用の基となるデータの質の危うさについて書きました。ちまたでは「今ある職業の○○%が将来AIに置き換えられて人間の仕事が奪われる」といった話が流れています。今回はAI自体について考えてみたいと思います。
基礎的知識を整理するため、私も最近話題になっている「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」という本を読みました。この中で特に重要だと感じた点を表1に列挙します。
1)文字通りの人工知能としてのAIはまだ存在していない。一般にAIと呼ばれているのはAI実現のための技術群(画像・文字・音声認識、自然言語処理、情報検索)である。
2)現在のAIブームをもたらしたのは機械学習技術の進歩であるが、多量の「教師データ」が必要となる。
3)現在のAI(技術の集成)でも、理解力や常識、柔軟な判断をする力がない。
「AI vs.教科書が読めない子どもたち」を基に筆者が要約
さらに同書ではAIが得意な仕事と不得意な仕事がはっきりしてきたこと、現在の教育はその不得意部分を伸ばすのでなく、いまだAIが得意とする分野に重きが置かれていると注意喚起されていました。
この本を読んで私が気付いたのは、「どこからAIと呼べるかの境界は決まっていない」ということです。市販されている「AIスピーカー」も、せいぜい音声を認識して既定のプログラムを実行する程度です。一方、私が使っているGoogleの無料メールに航空便の予約確定メールが届くと、カレンダーのスケジュールとして自動登録されます。そのさまを見ると、これをAI秘書と呼んでよいのかもとすら思います。
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次回配信は6月22日5:00の予定です
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