犬童一利監督の最新作「つむぐもの」の公開が19日から始まる。福井県越前市で紙漉(す)き一筋に生きてきた頑固一徹の職人・剛生と、韓国からワーキングホリデーで来日したヨナ。国籍も世代も文化も価値観も、何もかもがあまりに違いすぎる二人が、介護と伝統工芸を通し、心を通わせる-。その作品に「つむぐもの」というタイトルを使った理由について、犬童監督は、こう語る。「いろんな意味を込めたタイトルですけど、介護が人と人をつむぐことができる仕事だという思いも込めています」。犬童監督と主役・剛生を演じた石倉三郎さんに話を聞いた。【聞き手・ただ正芳】
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-「つむぐもの」では、施設と在宅の両面から、ひどくリアルに介護が描かれていますね。 犬童:その点は、結構こだわりました。少なくとも、介護をひたすらポジティブに捉えるだけの作品にはしたくありませんでしたから。この思いは、脚本などのために介護の現場の取材を進めるほど、強くなっていきましたね。 ■介護のリアル求めた取材で心に残った一言‐犬童監督 -具体的にどのように取材されたのですか。 犬童:脚本は、様々な介護業界の方達から詳しくヒアリングをし、監修を受けながら作成しました。私自身も、デイサービスや特養に取材に行ったり、一日だけヘルパーとして働いてみたりもしました。それから「ヘルプマン」は、何度も読み倒しました(笑)。新人介護福祉士・涼香を演じる吉岡里帆さんにも読んでいただきました。 さらに完成した脚本は、介護現場の人にも読んでもらいました。その内容が、現場の人にとって共感できるリアルさを持っているかどうかをチェックしてもらうためです。 そんな取材の途中で、深く心に残った言葉があります。ある介護職員は、自分の仕事について、こんな風に語っていました。 「介護というと、オムツ替えなどの生活介助をイメージする人が多いけど、生活介助は業務のひとつに過ぎない。その人が最期までその人らしく人生を楽しめるようにお手伝いすることが、介護の本質です」 この言葉を聞いてから、介護には、人が抱えるさまざまな課題や問題を超越できる何かがあるのかな、なんて思うようにもなりました。なにしろ「その人らしい最期のお手伝い」をする仕事ですから。ただ、それでも、介護が抱える一方の現実を知れば、単にポジティブなだけの介護を描くことは、どうしてもできませんでした。 ■「キレイごとではない場面」を盛り込んだ理由-犬童監督 ―なるほど。すると、職員が思わず利用者をたたいてしまう場面も、あえて盛り込まれたわけですね。 犬童:そうです。キレイごとをキレイに撮るだけの映画では、介護の現実がどうしても伝わらないと思ったのです。 キレイごとではない部分については、施設の場面でかなり盛り込みました。しかし、決して「だから施設が悪い、施設の職員が悪い」ということを伝えたかったわけではありません。 -キレイごとではない場面を盛り込むことで、特に監督が伝えたかったことは何でしょうか。 犬童:一言でいうなら「理想と現実のギャップにこそ、現場の介護職員は苦しみ、悩んでいる」ということですかね。 -確かに、思わず利用者に手を上げてしまった内田慈さんが演じる介護福祉士・蓉子は、その直後に詰め寄ってきたヨナに我を失い、「介護は理想だけではやっていけない」と、激しく訴えていました 。 犬童:介護で働く人のほとんどは、理想を持って現場に来ているのに、制度が定める賃金や人員配置など、彼ら彼女らをめぐる環境が、理想を現実のものとさせてくれていない。毎日、理想とかけ離れた介護に追われ、身も心も消耗していくだけ。でも、どうすればいいのか分からない-。そんな現実を、ヨナと涼香、あるいはヨナと蓉子の関わりを通し、特に強調したつもりです。 ■「それでも介護は受けたくない」-石倉さん -石倉さんは、そのヨナから介護される剛生を演じられましたが、ご自身は、どんな介護を受けてみたいと思われますか。 石倉:いや、介護は受けたくない。自分が誰かを介護することはできるでしょうが、受ける側には回りたくない。受ける前に死んでしまいたい。それが正直な気持ちです。美学とかではなく、自分の介護のために、人の時間を取ってしまうことがたまらなく嫌ですね。 劇中では、剛生が失禁し、ヨナに気づかれて介護される場面があります。剛生としては、すぐにでもヨナにその場を立ち去ってもらいたいわけです。何時間かかろうが、自分で始末したいわけですよ。できなかったら、そこで野たれ死んでもいいと思っているわけですよ。 それでも剛生は、ヨナの手を借りてしまった。借りざるを得なかった。剛生にとっては、人間の尊厳も何も、粉々に砕けて地に落ちた瞬間です。わたしも演じながら、ひどく切なくつらかった。 -しかし、劇中ではその受けたくない介護を剛生が受け、ヨナと剛生の関わり方は大きく変りました。 石倉:「一番、見せたくないことを見せてしまった。もはや、胸襟を開かなきゃしょうがない」。剛生は、風呂場で体を清めてもらいながら、そう思ったんでしょう。それでも、石倉三郎としては、介護は受けたくない。 ■明るく「これが仕事!」と言い切る職員が、介護を受ける人を救う -石倉さんと同じように考えていたのに、結果として、誰かの介護に頼らざるを得なくなっている人は、この国に何万人もいると思います。 石倉:…つらいだろうなあ、本当に。でも、そこに至った以上は、開き直って介護を受けなさいよ、と伝えるしかない。宿命、運命と受け止めて。 犬童:でも、介護をしてくれる人が、仕事を楽しそうにやっていたら、ずいぶん違うんじゃないですか。 石倉:そうだね。あと、介護が私の仕事なんだ、ときちんと言ってくれたら、受ける方もずいぶん気楽だと思う。明るく仕事と言い切れる介護職がいれば、私のように考えている人間も、ずいぶん救われるだろうね。 明るく「私たちはプロです!」と言い切れる介護人材を増やすには、やっぱり賃金を上げることですよ。いまの賃金は明らかに低すぎますよ。「介護の現場でがんばればしっかり稼げるぜ」ということだと、そういう人材も増えるはずです。 ■「つむぐもの」、その言葉に込めた思い -最期に「つむぐもの」というテーマに込めた想いをお教えください。 犬童:いろいろな意味を込めました。たとえば、人と人をつむぐ。文化と文化をつむぐ。世代と世代をつむいでいく。この作品を創ることで、僕ら自身もいろんな人につむいでいただきました。 石倉:劇中では、世代も性格も国籍も違う剛生とヨナが、介護を通じて、心を通い合わせた。介護そのものも、「つむぐもの」といえるんじゃないか。 犬童:そうですね。介護は、間違いなく、人と人をつむぐための「糊」としての役割を果たすことができるものだと思います。
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