開業から13年目を迎えた2000年1月のある日、京都市の左京区医師会の理事会が開かれていたホテルに突然、当時の京都府医師会(府医)会長の故横田耕三先生がお見えになりました。先生は、左京区医師会の副会長(当時)だったわたしに対して、府医の学術担当理事に就任するよう要請されたのです。
今年6月に一般社団法人に移行するまで、府医の理事の選任は会長の専権事項でした。医師会の在り方に漠然とした不満を感じていたわたしが、府医の社会保険研究委員会などでそれなりに発言をしていたこともありましたが、左京区医師会長をはじめ、既に周囲への根回しが済んでいたようで、とてもお断りできるような状況ではありませんでした。他方、医師会の在り方などについて意見を述べておいて、役員の要請を断るのは潔しとしないという、わたしの“悪い癖”も出て、結局お引き受けすることにしました。
その2年後に府医の保険担当理事に指名され、それを4年間務めたわたしは、06年の森洋一会長の選出に伴い、副会長に就任して今日に至っています。またこの間、日本医師会(日医)の社会保険診療報酬検討委員会に、近畿医師会連合の代表委員として参加し、小委員長を経て、最終的に委員長に就任しました。
こうした折、09年の10月の終わりごろ、府医の理事会の最中に、森会長の携帯電話が鳴ります。電話を終えた会長の一言は、まさに青天のへきれきでした。
「先生、厚労省(厚生労働省)から中医協(中央社会保険医療協議会)委員就任の要請です。どうしますか」
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