【北海道介護福祉道場 あかい花代表 菊地雅洋】
2018年4月から、介護医療院という新たな介護施設が設定されたことで、介護施設の新体系が出そろった。その中で、介護老人保健施設に求められる役割も変わってきていると思われる。そのことを整理して考えるには、老健の誕生から今までの経緯をたどりながら考えた方が分かりやすい。
例えば、老健は「中間施設」と呼ばれるが、それは居宅と医療機関をつなぐ中間施設という意味だと捉えている人が多い。しかし、老健創設のきっかけとなった「社会保障制度審議会の意見書」(1985年1月24日)では、「重介護を要する老人には、医療面と福祉面のサービスが一体として提供されることが不可欠で、両施設(医療機関と特別養護老人ホーム)を統合し、それぞれの長所を持ちよった中間施設を検討する必要がある」とされている。つまり、当初の中間施設の考え方とは、「医療機関と特養の中間的機能を持った施設」という意味だったわけである。
だがそれは、全国7カ所のモデル事業の成功の結果を受けて徐々に変化し、社会的入院といわれる長期入院を続ける高齢者を、家庭に復帰させるための新しい施設=「医療機関と居宅をつなぐ中間施設」という概念の確立へとつながっていったのである。
しかし、介護保険制度の創設を受けて、老健の根拠法が「老人保健法」から「介護保険法」へと変わる時に、長期入所者が増えて在宅復帰機能の低下が見られるという、中間施設の概念と相反する役割との混乱が生じたのである。そのため、2002年8月に「剛腕」と呼ばれた中村秀一氏が老健局長に就任した際に、「在宅復帰機能のない老健は、老健の看板を下ろせ!!」と批判した。これが関係者の間で「中村ショック」といわれた問題である。その結果、在宅復帰機能を強化・補完するために、老健から退所した人の訪問リハビリが、医療機関から拡大されて老健からもできるようになったわけである。
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次回配信は12月26日5:00の予定です
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