医師として立場変われど「医の心」貫く
あの時、私はこう考えた(4)
緩和ケアとは身体的、精神心理的、社会的苦痛を含めた全人的な苦痛を取り除くことであり、国の政策により、終末期医療という印象から、より幅広く理解されるようになり、その意識はがんの医療現場で大きく広がった。
林は、基本計画に緩和ケアの重要性が明記されたことには功罪の両面があると言う。「功」の部分は、日本の医療で最も手薄だった緩和ケアに非常に強いスポットを当てて、すべての科を横串にした緩和ケアチームが結成されるなど、行政が一定の強制力を加えたことで、現場の組織体系や意識が大きく変化したことだという。
一方、「罪」の部分は、後に緩和ケア医が緩和ケアの専門性を主張するようになり、逆に最近は、緩和ケアという領域までも専門化された分業体系の一つになってしまう傾向にあることだと話す。
がん対策基本法は本来、がん患者が求めるがん医療と実際の医療現場との乖離に対する不満が原動力となって成立した。この経緯の中で、林は基本法に記された「早期からの緩和ケア」について、こう語る。
「われわれは、これまで医療の進歩とともに自身の専門性を高め分業化することで、より高度な医療を提供することに注力してきた。その過程で、いつしか日常診療の中で患者・家族の気持ちに配慮する余裕がなくなってしまったのかもしれない。基本法に記されている『早期からの緩和ケア』とは、病気を治す高度な医療も大事だが、もっと早い段階から患者・家族の気持ちにも寄り添った医療に取り組んでほしいという意味が込められている。それは、緩和ケア医へのエールではなく、われわれすべての医療者一人ひとりに向けられた、すべての患者・家族の望みなのだ」
その上で林は、「緩和ケアの基本理念は、すべての医師に本来備わっていなければならない『医の心』そのものであり、生命の尊重と個人の尊厳を守り、心身の状態に応じて行う医療の定義そのものだ。われわれは基本法によって、原点回帰することが求められているのかもしれない」と話す。さらに、基本計画の策定に当たっては、緩和ケアの政策が基本法に込められた患者・家族の思いから乖離しないよう、行政の細心の配慮が必要だと強調する。
■基本計画に盛り込んだ、2行の看護師へのエール
林は医療現場を離れ、厚労省の医系技官になることを決意する。林は、台湾で生まれ、幼少期より日本で育ち、医師になった後も両親の故郷に対する思いを尊重して、40歳まで帰化をせずに台湾国籍でいた。
しかし、厚労省に入省する際に帰化をした。国籍を変えることの重みはあったが、今ある台湾の近代化は日本人のつくった礎のおかげであり、帰化をして日本人として、医師として、日本の患者・家族のために、この国のがん医療に貢献し、礎となる気持ちには何の迷いもなかった。
厚労省に入り最初に取り組んだ大きな仕事は、12年6月に閣議決定された第2期の基本計画の策定作業だった。基本計画は、5年ごとに見直すことになっている。この基本計画は、12年度から16年度までの方向性を示したものだ。第2期の基本計画には、がん医療の現場に向けた数多くのメッセージが盛り込まれた。
林は、入院患者だけでなく、手薄になりがちな外来患者に対しても、しっかりとした緩和ケアも含めたがん医療を届ける必要があり、そのためには看護師の役割が何よりも重要だと考えていた。
莫大な外来患者に対して、診療現場では検査や治療方針の説明だけでなく、再発の告知などのやりとりが行われている。林は、そこでいわゆる、数多くの「がん難民」が生まれているのではないかと分析する。診察室という密室に介入できるのは、看護師だけなのだ。林は、常に患者・家族に寄り添い、時に医師と対峙してまでも患者・家族の立場に立って守る看護師の姿を何度も見てきた。
真の緩和ケアの推進には、看護の力が必要不可欠だと考えている。第2期の基本計画では、看護師の重要性が強調されている。基本計画には、この2行が盛り込まれている。医療現場で奮闘する看護師への大きな期待を込めた、最大限のエールだ。
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