「赤い色でした」「丸い形をしていました」「“あ”が付く名前だったと思います」-。お薬手帳がなかった阪神大震災の医療現場では、このような患者への聞き取り調査で服用薬を確認するしかなかった。それは、さながら「連想ゲーム」のようだったという。このほど兵庫医療大で開かれた講演会「大災害と薬」の中で、薬剤師の川添哲嗣氏(南国病院薬剤部長)は当時の状況をそう振り返った。また、東日本大震災での活動経験も踏まえ、お薬手帳の重要性について改めて訴えた。【坂本朝子】
阪神大震災の発災当時、川添氏は兵庫県三木市の服部病院に勤務。50床から150床に増床したばかりの病院で、被災の影響はほとんどなく、発災当日の夕方までは普段と変わらない状況だったという。
ところが、夕方になって一変。透析設備がある同院が無事との情報が救急隊に伝わり、透析患者の搬送が始まった。その日は普段の透析患者65人に加え、搬送された30人に透析を実施。翌日からも搬送患者は増え続け、個人からの問い合わせも殺到。最も多い日で151人に透析を行った。スタッフは帰宅不可能になり、24時間体制でケアに当たったという。また、発災当日は85人だった入院患者も、翌週には手厚いケアが必要な挫滅症候群8人も含め145人となり、14人の病棟看護師で対応し続けた。
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