―片山さんご自身も、阪神大震災で被災したと伺っています。
私は当時、阪神打出駅前の薬局で薬剤師として働いていました。自宅のあった芦屋市で被災しましたが、家族は幸い無事だったので、その後、救護所があった市内の消防署に詰め、その年の3月末まで、そこでボランティア活動を続けました。
皆さん、ご自身が被災者になるかもしれないという意識が低い印象を受けます。自分は常に元気で何かできると思っていても、実際はそうではありません。私もけがをしていたら、ボランティアをすることはできなかったでしょう。
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