東日本大震災の被災地で精神医療のニーズがあったにもかかわらず、組織立った医療支援が十分できなかった教訓を踏まえ、精神科救急医らで編成された「災害派遣精神医療チーム(DPAT)」の能力向上を図る動きが本格化している。精神疾患に詳しい医師や看護師らの“プロ集団”は、本当に被災地で必要とされているのか―。宮城県南三陸町で実際に行われた支援活動や、DPAT研修会などの事例を取り上げ、その役割や課題を探った。【新井哉】
「チームが出発するまでには、さまざまな手続きが必要であったが、職員一丸となっての動きは速かった」。被災地での支援活動について、医師らを派遣した岡山県精神科医療センターの中島豊爾理事長は、岡山県精神科医会が昨年まとめた「心のケアチーム」の活動記録の報告書の冒頭で、こう記した。
岡山県の心のケアチームは震災発生から8日後、他の都道府県の精神科支援チームの先陣を切って被災地に入った。派遣先は宮城県南三陸町。全戸数の半数以上を占める約3100戸が全壊、医療拠点となっていた公立志津川病院は機能を喪失するなど、町は壊滅状態に陥っていた。
震災直後、沿岸の被災地では、多くの患者が自宅と共に内服薬を津波で流され、特に慢性疾患を抱える患者の健康状態が悪化するケースが目立った。心のケアチームが派遣された南三陸町も同様だった。被害が甚大だった同町では、被災直後に駆け付けたDMAT(災害派遣医療チーム)の大半が向精神薬を常備しておらず、精神疾患を持つ患者の診療が後手に回り、症状が悪化したケースもあったという。
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