【特定医療法人谷田会 谷田病院 事務部長 藤井将志】
■EТC未搭載車が高速出口に長蛇の列
道中は、初日にどんな活動をしたのかを共有してもらいながら、被災地まで1.5時間の道のりを進んだ。この時点では、前日の部隊から引き継ぎがあった方が翌日の業務がスムーズにいくと思っていたが、2日目のミッションは、前日から刻々変化する。そのため、詳細な引き継ぎには意味がなさそうである。
高速道路を走り被災地に近づくと、インターでは普通車の出口の手前から長蛇の列ができていた。それを尻目に、スマートIC搭載車用の出口から降りる。ETCでなければ30分くらいはロスしていただろう。
その後、同じ医師会の第三陣が出動した時には高速道路が閉鎖されていたが、JMATの活動で被災地に向かうことを入り口で伝えると、支援車両扱いで通ることができた。
人吉市内では、がれきの山が道端に積まれていたり、電柱の上の方にまで木や草が引っ掛かっていたり、河川の氾濫のひどさを物語っていた。本部がある人吉保健所に到着すると、色とりどりのユニフォームを身に着けたJMATやDMAT、日赤災害班、TMATなどの支援チームが集まっていた。よく知らない「○○AT」がたくさんあった。全てを網羅していないだろうが、それらの名前を参考までにリストにした。
これら「〇〇AT」部隊は数日も経つと撤収し、医師会のJMATと地元の人たちが中心になって復興を進めるフェーズに入る。発災初期の体制からちょうど移り変わる時期であった。
■復興の主役は被災者
集合時間の朝8時半になると、医療の支援活動を取りまとめるリーダーの医師から当日の状況が伝達される。組織体制の説明、主な避難所や孤立集落の状況、支援活動の留意点などが手短に説明される。活動する際に重視してほしいのは「支援者の支援である」ということだった。現地には地元の支援者が既におり、自らも被災しながら日々を送っている。その人たちが、これまでもこれからも中心になって復興へ動いていく。そこに、支援チームが数日、「支援にきた」わけであり、自分たちが中心となってリードするわけではない。現地で支援している人たちへの支援ということを忘れずに、ということだ。
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