「あなたは何によって憶(おぼ)えられたいですか?」-。独立行政法人国立病院機構(NHO)久里浜医療センター事務部業務班長の斎藤知二さんが、講演の冒頭、必ず紹介する言葉だ。病院の事務職になって26年。この間の経験を基に、「事務職が病院を変える原動力」と強調する。事務職が最も貢献できる経営の改善によって、病院も変わってくるからだ。この思いには、「自己刷新を促す問い」である冒頭の言葉も深くかかわっている。【CBnews契約ライター山田利和】
■創意工夫し成果を出すと上司が評価、若い頃の経験が根底に
斎藤さんは、1991年に国立病院医療センター(現国立国際医療研究センター)に就職。その後、▽国立横浜病院(現NHO横浜医療センター)▽国立療養所東京病院(現NHO東京病院)▽NHO災害医療センター▽国立がんセンター中央病院(現国立がん研究センター中央病院)▽NHO栃木病院(現NHO栃木医療センター)ーを経て、昨年、NHO久里浜医療センターに赴任した。従事した業務は、医事・契約・経理・給与・監査・財務・経営など多岐にわたる。
久里浜医療センターは、アルコール依存症治療の国内発祥の地。近年は、ギャンブル依存やインターネット依存などの治療にも取り組む精神科を中心とした医療機関で、今年4月からは、重度のアルコール依存症になる前に、飲酒をコントロールしてアルコール依存症を治療する「減酒外来」を開設した。
業務班は、経理や財務、債権管理、経営企画などの部門で構成され、斎藤さんが統括している。
就職の動機を含め、当初は医療機関で働くことへの「熱い思いはなかった」と振り返るが、国立病院医療センター内での異動が転機となった。当時の上司から非常に厳しくしかられることも度々あった。一方、ただ厳しいだけではなく、若い斎藤さんに業務を任せることも少なくなかった。「失敗も多く経験したが、創意工夫をして成果を出すと評価し、認めてくれた。若い頃の経験が自分の根底にある。仕事は大変だったが面白いと感じられるようになったのも、この時期だった」。
斎藤さんは、その後の職場で初めて部下を持った。当時は男性のみで「厳しく」教育した。しかし、女性の部下を持った次の職場では、“男社会”独特のやり方を見直し、「優しく」教育する方法に変えた。さらに、次の職場では、それらの中間に当たる「普通」の教育を取り入れるなど、部下に対する教育を含め、試行錯誤しながら自らの業務を改善してきた。
(残り2146字 / 全3179字)
この記事は有料会員限定です。
有料会員になると続きをお読みいただけます。
【関連記事】