中国・三国志の名医「華佗」×CADA対談
共通点は患者目線と革新性
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DPC病院の診療データを分析・ベンチマークするシステム「EVE」などのサービスを提供するMDVは2011年3月の東日本大震災を機に、危機管理の観点から同年11月に九州支店(福岡市博多区)を開設、東京本社との2拠点体制に移行した。これは偶然だが、著書に「名医たちの三国志」(文芸社)がある上村さんは福岡市在住だ。上村さんは薬剤師で、福岡市薬剤師会の広報委員や早良区薬剤師会長などを歴任。現在も「うえむら薬局」(同市早良区)を経営しながら、著作活動を続けている。
この対談は、MDVの九州支店で行われた。対談はまず、岩崎社長がどのような経緯で、病院向けソリューションに「CADA-BOX」と名付けたかを説明することから始まった。
岩崎社長 「CADA-BOX」はまさに、華佗のイメージです。日本だと卑弥呼が邪馬台国を統治した時代で、中国では後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していたころです。魏の基礎をつくった武将・曹操の侍医として知られ、麻酔薬を開発し、外科的な手術をしていたとされる驚異的な医師、華佗にあやかりたいと思ったのです。
華佗は当時、医療を求めていた人たちにとって、守り神のような存在だと聞きます。それと革新的なことに挑戦する華佗と、「CADA-BOX」が重なったのです。この病院向けソリューションで患者との接点となるのが、オレンジ色の名刺サイズの「CADAカード」です。その「カード」という響きも、華佗に似ているので命名しました。
注:「CADA-BOX」は、病院の電子カルテシステムに接続し、患者が自分の診療情報を見ることができるインターネットサイト「カルテコ」と決済機能を付帯したサービス。患者は、クレジット機能とカルテコ閲覧IDを備えたCADAカードにより、自分の診療情報を印刷して持ち帰ったり、ほかの医療機関を受診するときなどに利用したりできる。また、医療費の支払い条件を自由に決められるため、患者の支払いへの不安が軽減。煩雑な会計を待たなくてよいので待ち時間が短縮される。病院は未回収金を減らすだけでなく、会計にかかわる人件費も圧縮できる。「CADA-BOX」の導入で診療情報の一部を患者に返してくれる病院となり、高く評価されることが期待される。
上村さん 待ち時間が短縮されるのはいいことですね。私も身内の付き添いで、病院に行きますが、診療が終わった後に長く待たされるのはきついです。健康ではないので病院に行くのですから、そこが改善されることは大事です。あと、自分の診療情報を得られるのですね。病院と病院、さらには病院と診療所で診療情報を共有化できれば、例えば、同じ検査を何度もしなくてもいいですし、患者や家族の負担が増えずに、ひいては年々増加している医療費の抑制にもつながるでしょう。 岩崎社長 私が03年8月に、MDVを設立したのは、医療情報をネットワーク化して医療の質をよくすれば、医療者にメリットをもたらすことができるのではないかと考えたからです。その後、医療の質をよくするには、患者へのメリットも追求する必要があると思い、患者が自分の診療情報を見ることができるインターネットサイト「カルテコ」の普及に取り組みました。
注:インターネットサイト「カルテコ」により患者は、身体をイメージした「診療レポート」(左)のページを確認できる。そこでは、受診日や医療機関情報はもちろん、傷病名や処置・手術などのほか、検査結果や処方された薬剤の名称を把握することが可能。これらの診療・検査データを基に、ほかの医療機関でセカンド・オピニオンを聞くことができたりする。どのような薬剤が処方されているかが分かるため、重複投与やポリファーマシー(多剤処方)問題の解決にもつながる。
上村さん 華佗は、頭痛持ちの曹操をはり一本で治したりしたために、曹操に重用されました。漢方の処方もできて、「麻沸散」(まふつさん)と呼ばれる麻酔薬を使って開腹手術をするなど、今なら内科・外科を問わないオールマイティーな医師なのかもしれません。虎や熊といった動物の動作をまねる健康養生法、「五禽戯」(ごきんぎ)を考案するなど健康志向のある人でした。
華佗は、一部のお金持ちではなく、庶民を病気から救おうという気持ちが強かったようです。最後は牢屋に入れられ、かつて仕えていた曹操により処刑されてしまいますが、華佗は牢番の持病の腹痛や、その家族の病も治したりもしています。
華佗の医書が残っていれば、この世界の医療は今よりもっと進んでいたかもしれません。華佗が「麻沸散」の処方について書き記した医書を、当初は牢番に託そうとしていたのですが、牢番がそのようなことをすると自分もとがめられると恐れたので、華佗は最後には、牢番から借りたたいまつで医書を焼いています。これは牢番を気遣ってのことだと思います。
今も昔も、診療情報の共有化や、医療技術を広く伝えることは非常に重要です。華佗と並んで、同時代の名医とされる張仲景は当時、中国全土ではやり、傷寒病といわれた発熱を伴う感染症の治療法を「傷寒論」として医書に残し、漢方処方をつまびらかにしたために、その後の漢方の基礎となり、後世の指針になりました。
岩崎社長 「CADA-BOX」は当初、全国344(16年4月現在)の二次医療圏の基幹病院に設置することを目標にしていますが、将来的にはほかの病院や診療所、薬局にも拡大させて、医師だけでなく薬剤師なども患者の診療情報を把握できるようにしたいと考えています。華佗が今の時代にいて、「CADA-BOX」に触れる機会があったら、どんなことが起きたでしょうか。 上村さん 華佗が今の時代に生きていたら、大病院ではなく診療所の医師として、「赤ひげ」のような存在で地域に根差した医療を提供しているでしょう。そして、独自の医療技術を論文にまとめたり、後進に伝えたりすることに注力していたかもしれません。残念ながら華佗の医書はありませんが、弟子に樊阿(はんあ)と呉普(ごふ)がいて、樊阿ははりの技術を受け継ぎ、後にはりの名医となりました。呉普は五禽戯を継承し、一般への普及に大きく貢献しています。
華佗は「CADA-BOX」により集められた診療情報を、感染症の予防に役立てていたかもしれません。華佗の時代には、いわゆる疫病がどこまで拡大しているのかが最大の関心事の一つでした。庶民の病気を気にしていた華佗なら、「CADA-BOX」を使って、どの地域でどのような疫病が流行しているかを把握していたかもしれません。
岩崎社長 華佗には、いわゆるスーパードクターのようなイメージを持っていましたが、お話を聞くと、少し違っていたかもしれません。華佗は、お金持ちよりも庶民の病気を診ていたので、「CADA-BOX」の理念と共通しています。まさにCADAのクレジット機能も、医療費を払うことができない社会的な弱者、つまり与信が与えられない人もできるだけ救済する仕組みにしています。そういう意味で、
「CADA-BOX」と名付けてよかったと思います。
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