百貨店売り場主任から看護職千人のトップに
あの時、私はこう考えた(3)
■潜在能力信じ、未経験の看護管理職に
それから、勝原は大学で、教育と研究の両面から看護の労働環境の整備を進めてきた。この仕事が、自分にとっての天職だと思った。しかし、13年勤務した後、勝原は再び病院に戻ることを決断した。
そのきっかけは、聖隷浜松病院の当時の総看護部長、畠中智代からの熱烈なオファーだった。学会などで顔を合わせた時、「あなたが来てくれたらありがたい」と、自分の後任者になるよう強く勧められた。
オファーは一度や二度ではなかったが、看護職の管理経験がない上、浜松にはなじみがなかった勝原は、「私には向いていません」「迷惑を掛けます」と丁重に断り続けた。
それでも、畠中は声を掛け続けた。「そろそろ気は変わった?」「浜松も良い所だよ」。5年以上続く押し問答に、いつしか勝原はこう考えるようになった。
「私の知っている自分は無理だと思っているけれど、外側からは、自分の知らない潜在能力が見えているのではないか。それが何かは分からないけれど、それを最大限生かして、病院のためにやってみよう」
聖隷浜松病院に赴任した2007年4月から、勝原は病院の管理職という立場で看護職員の労働環境の整備を進めている。例えば、研修制度や勤務形態を整えたり、看護の結果としてのADLなどの推移を可視化させたりすることで、職員が自ら看護の質の高さを追求し、極めていきたいと思う風土づくりに力を入れてきた。
また、看護の仕事がどういったものか積極的に情報発信することが重要だと、職員に呼び掛けている。「看護師が自信を持って、良い仕事をしていると思いながら働き続けるには、広く世の中に看護の仕事を知ってもらわなければなりません。自分たちがどんな仕事をしているのか、自分たちで可視化していくべきです」。
勝原の呼び掛けに応えて、職員がこれまでに実施したことの一つに、「ベストストーリー」の表彰がある。ケアの方法を工夫して患者から感謝されたといった、病棟ごとの「ベストストーリー」を、外来患者の待合スペースに掲載し、患者や職員の投票を行った。
「自分が可視化しなかったら、人に可視化しなさいとは言えません」。勝原は、職員に向けた情報発信も行っている。その一つは、年度の終わりに1年を振り返って、自分が気付いた自らの潜在能力を発表することだ。
1年目には、さまざまな事象を概念化し、その本質をとらえる能力だと発表した。大学に所属する研究者としては当然の能力だと思っていたが、職員から受けた報告を整理している時に、その能力が病院の管理職の仕事にも生かされていると気付いた。
勝原は、自分ができることを確かめながら、看護職員が生き生きと働き続けられる環境の実現に、一歩ずつ着実に近づいている。=敬称略=
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