事業承継で経営の一線退き、新たな地域貢献の形づくりに挑戦
小児科医として子どもを診ながら、ママ・パパのお悩み相談も
22年間、東京都調布市で地域の子どもたちの成長を見守ってきた医療法人社団あすなろの会「ぬきいこどもクリニック」院長の貫井清孝氏。発行した診察券の枚数は1万9,000枚超に上りました。当時診察した子どもが親となり、親子二代で、貫井氏の診察を受けるケースも。しかし、診察券の発行枚数が2万枚に届きかけた2020年、事業譲渡を決断。もともと貫井氏は、毎年輩出される若手医師の活躍を見ながら、行く行くは後進に道を譲らなければと考えていました。タイミングは60歳になる頃。20年、貫井氏は61歳でした。21年11月にバトンを受け継ぎ開院したのは整形外科や内科が中心の「健幸クリニック調布国領」。今、ここで貫井氏は週1回、子どもたちの診察をしながら、子育てなどをしているお母さん・お父さんの悩みを聞く、相談事業を始めています。事業承継を通じて、貫井氏と事業を受け継いだ、医療・介護事業のコンサルティングなどを手掛けるアレック代表の伊藤拓也氏は、地域貢献につながる医療の新たな価値づくりに挑戦しています。二人に、事業承継の経緯や思いを聞きました。【川畑悟史】
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新たな取り組みで地域貢献に挑戦する貫井氏(右)と伊藤氏
-「ぬきいこどもクリニック」を開院したきっかけを教えてください。
貫井氏 私は東京都杉並区で生まれ、育ちましたが、弘前大学医学部で小児科を専攻したことがきっかけで、青森県や岩手県など東北地方の子どもたちを多く診てきました。その後、東京に戻り、勤務医として子どもたちを診てきましたが、勤務医ですと、どうしても診療件数という評価が付きまといます。私は、話を十分聞いて、見て、触って、においをかぐ、ということが小児医療では大切と考えてきました。一人当たりの診察時間がたくさん取れない勤務医では、自分が考える小児医療を実現できないと開院を決断しました。開院は実家のある京王線「つつじヶ丘」駅の近くで考えており、たまたま調布駅に向かって2つ先の「国領」駅の近くに物件があったため、1999年に開院しました。
■「東京の子どもたちを守りたい」。開院時の思い忘れず
開院して強く思ったことは「東京の子どもたちを守りたい」ということでした。長く、東北地方の子どもたちを診てきて、都会の子どもたちは、地方で暮らす子どもたちと比べて大切にされていないと感じました。塾やたくさんの習い事をさせられている子どもたちの姿を見て、子どもたちが危ないと本当に思いました。子どもは親の背中を見て、育ちます。できるだけ多くの時間を親子で共有した方がいいわけですが、背中を見て育つ分、お母さん・お父さんの日頃からの振る舞いも大事になります。私は、自分の子育て経験を紹介しながら、お母さん・お父さんと一緒になって、子どもたちの成長を見守ってきました。
開院から東日本大震災のあった2011年3月までは診察時間を午前9時から午後9時までにし、できるだけ多くの子どもたちを診察できる体制にしていました。東日本大震災で、節電が呼び掛けられ午後7時に診療時間を短縮。その後、近隣にある東京慈恵会医科大学附属第三病院が準夜間帯の診察を始めたため、午後7時までの診察としました。
「ぬきいこどもクリニック」の開院当時を振り返る貫井氏
診察券の発行枚数は、1万9,000枚を超えました。初診の子どもの中には、その子の親御さんが幼少時に、聴診器を当てた子もいます。「先生、私も昔、お世話になりました」という話をしてくれるお母さん・お父さんに会うと、この地で長年にわたって小児医療に携わることができて本当に良かったと思います。
-地域住民に親しまれていた「ぬきいこどもクリニック」様で、どうして事業承継を考えたのですか。
貫井氏 定年制を設ける一般企業であれば60歳ぐらいでしょうか。次の世代にバトンタッチをしながら、それまでの経験や培ってきたノウハウを使い、新たなことをする機会があります。医師も同じです。毎年、医師国家試験に合格し、優秀な医師が数多く輩出されます。誰もリタイアしなければ、医師は、だぶついてしまう。年を取るにつれて正しい判断もできなくなるかもしれません。従前から、私は60歳ぐらいになったら、後進に道を譲ろうと考えていました。
■60歳ぐらいで後進に道を
19年に60歳になりました。その時は具体的なイメージを持っていなかったのですが、20年の新型コロナウイルス感染拡大による患者減をきっかけに事業承継を具体的に考えました。
「この柱も22年以上、子どもたちの成長を見届けてきた」と話す貫井氏。「健幸クリニック調布国領」でも柱は時を刻んでいる
「東京の子どもたちを守りたい」という一心で、開業から22年間、地域の子どもたちを診てきました。それはコロナ禍でも変わらず、20年6月、クリニックを子ども専門の発熱外来とし、コロナ禍で子どもたちを守る体制を整えました。ところが、当時のコロナ株は子どもたちにあまり感染しませんでした。さらに発熱外来にしたことで、風評被害による受診控えも加わり、わずか数カ月で内部留保は底を突きました。コロナの終息も見通せない中、金融機関から借り入れをして経営を続けるのは、いいやり方ではないと考え、CBパートナーズさんに事業譲渡について相談に乗ってもらいました。
-国領という地で、22年間大切に育ててきた医療を、受け継いでくれる先として特にこだわった点はどこですか。
貫井氏 大きく2つありました。1つ目は、事業を受け継いでくれる相手側が自信家、野心家であること。いくら退くとはいっても、長年にわたり大切に育ててきたクリニックを譲り渡すわけですから、少しでも今後の経営に不安をのぞかせるような相手にはバトンを渡さないということは決めていました。もう1つが、地域のことをしっかり考える方に譲りたいと考えていました。
ただ、コロナ禍の中、そのまま小児科を開院したいと考える方には、お譲りするのはやめようと思っていました。せっかくバトンを受け継いでくれても、どれだけ子どもたちが戻ってくるのか分からない状況です。場合によっては、開院すらままならない状態になる恐れもないとは言えません。コロナ禍による苦汁を味わうのは、私だけにとどめたいという思いが強くありました。
-なぜ、貫井さんからバトンを受け取ろうと考えたのですか。
伊藤氏 私は医療機器メーカーに20年勤務しており、後半の10年間は介護事業の立ち上げに加わるなど、鹿児島県を除く46都道府県にクライアントがいました。全国を歩いてみて分かったことは、医療機関は、地域それぞれに応じた取り組みが非常に大切ということです。生意気な言い方ですが、そういう医療機関を地域に残さなければいけないという思いから、医療・介護事業のコンサルティングなどを手掛けるアレックを立ち上げました。
「地域に必要な医療機関は残さなければならない」と熱く語る伊藤氏
■“地域を重視”波長が合い、事業譲り受けを決意
事業承継についてCBパートナーズさんから紹介され、貫井先生に、これまでの地域での小児科医としての取り組みや考え方について話をお聞きしながら、我々が目指す方向性と波長が合ったことから、事業を受け継ぐことに決めました。
また、調布市は、私がメーカー勤務時代に、デイサービスの立ち上げに関わり、初めて医療機器というハードではなく、ソフト面でお金をいただいた所で、とても感慨深い所でもありました。そこで地域のお役に立ちたいと考えたのも、ここで開院を決めた理由です。
-「健幸クリニック調布国領」は、整形外科や内科が中心ですが、承継に戸惑いは、ありませんでしたか。
貫井氏 コロナ禍の中、小児科以外で、この地域、この建物、この内装を使ってくれる人へ譲ろうと考えていました。ただ常々、思ってきたことは、医療はもう少し患者への責任を持つべきです。例えば診察し、「毎日30分から1時間ぐらい運動しましょう。1年後、また来てください」と言われる患者さんは少なくありません。しかし、いざ、運動をしようとしても、何をしたらいいのか分からないのが実情です。少し散歩して、スポーツクラブで筋トレして、体を壊してしまう。患者さんそれぞれに合った改善策を一緒に探る努力が必要だと感じています。
伊藤さんが提案されたのはクリニックの下に、自費で運動療法ができる施設を置き、未病の段階から健康に気を配り、もし不安なことがあれば、クリニックで整形外科医などが診る。新たな取り組みで地域の医療に責任を果たそうとしている姿に、共感を覚えました。
伊藤さんが、事業を受け継いでくれるということになり、本当にありがたかったです。
-新たな歴史を刻み始めた「健幸クリニック調布国領」様で、今後どのようなことに取り組んでいきたいですか。
貫井氏 今は週1回ですが、「健幸クリニック調布国領」の小児科で子どもたちを診ています。その間に、ここで新たに子どもたちを見守ってくれる先生にバトンを渡していきたいと思っています。先ほど、以前から60歳ぐらいで一線を退こうと思っていたと話をしました。今でもその考えに変わりはないのですが、一般会社のように相談役のような役割で、地域に貢献したいと考えています。
■新たな取り組みで地域に貢献
子どもたちの健康を守ることと同時に、親御さんを見守ることも大切なことです。子育てにはマニュアルはありませんが、一方で、子育てに関する情報があふれています。こうした情報に納得するのではなく、それが正しいのか、子育て中のお母さん・お父さんには大いに悩んでほしい。その時に相談できる存在になれればと、2月から週に一度ですが、土曜日の午後に相談事業を始めました。相談料はいただいていません。新たな事業を通じて、地域に貢献していきたいです。
伊藤氏 クリニックの名前にある「健幸」には、ウェルビーイング(身体的、社会的、精神的に人々が良好な状態にある)の思いを込めています。「健幸」という考え方を広めていきながら、地域を支えていく医療を展開していきたいと考えています。
医療での今後の地域貢献の形について話し合う貫井氏(左)と伊藤氏
医療介護経営CBnewsマネジメント
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