多死社会に向け、変わりゆく死生観
医療は「死」にどう向き合うのか
長く診療に携わってきた医師の皆さまは、さまざまな「死」の場面にも向き合ってこられたと思います。今、年間130万人超が亡くなる「多死社会」を迎え、私たちの人生に対する価値観や死生観も変わりつつあるのかもしれません。キャリアブレインとCBnewsが今月21日(土)に開催する医師のセカンドキャリアのための無料セミナー「実りある60代を過ごすために」では、作家で宗教学者の島田裕巳氏を講師に迎え、これからの医療にも少なからず影響を与えるだろう日本人の死生観の変化についてお話しいただきます。
【関連記事】
ここをクリック⇒ 21日(土)開催、医師のセカンドキャリアのための無料セミナー「実りある60代を過ごすために」
(医師対象のセミナーですが、ご夫婦などご家族連れでのご参加も歓迎です)
■死生観をめぐる現代日本の矛盾
日本では毎年130万人もの人が亡くなっています。年間死亡者数は、高齢人口の増加とともに増え、近い将来160万人になるとも推計されています。まさに「多死社会」といわれる状況ですが、その死の多くは病院という場で迎えられています。
宗教の役割が薄れた現代の日本では、「死」や「生」に最も具体的に直面しているのは、医師の皆さんです。どう生き、死んでいくかという問題に医療は深くかかわっていて、医療現場においても本来、「死生観」というものがかなり重要なキーワードとなるはずです。
しかし、近代の医学教育は、「病気を治すこと」「長く生きること」を至上の価値として、あくまでも知識や技術を修得することが主であり、死生観について学ぶ機会はないのではないでしょうか。
このギャップが、多死社会を迎えた日本が抱える矛盾の一つであると言えます。
■長生きだけがすべてなのか
日本人の死生観には、仏教の伝来とともに広がった「西方浄土」「極楽」という観念の一方で、「家(イエ)」の概念が深くかかわってきました。人は死んだら先祖として祭られ、イエと子孫を守るという死後の在り方があったわけです。しかし、「死んだら浄土に行く」「ご先祖になる」といった感覚は薄れ、死後に意味を見いだせなくなっている。生きることだけが最大の価値になっているのが、現代の死生観の根本的な特徴です。
核家族化や病院死の増加、葬儀の簡素化などにより、「死」はさまざまな形で遠ざけられていて、われわれの死に対する経験値は低くなっています。高齢の親を自宅で看取ろうとしても、最期に慌てた家族が結局は病院に入れてしまうといった話もそうです。
一方で、長生きだけがすべてなのかということも問われています。
先日、脚本家の橋田寿賀子さん(91)が「私は安楽死で逝きたい」というエッセイを発表して話題になりました。日進月歩で発達する医療によって、今、どんどん長生きが実現しています。と同時に、高齢者だけの世帯も増える中で認知症や介護の問題など、「みんなが老後を心配せざるを得なくなった時代」でもあるのです。
これからの医療・介護は「在宅」へと向かっていますが、人が死を受け入れるとは何か、医療は死にどう向き合うべきかを社会全体で議論すべき時期ではないかと思います。
■医師の「お金の悩み」に答えるマネープランも
セミナーでは、ほかに「医師のお財布事情」と題し、ファイナンシャル・プランナーの内藤眞弓氏(株式会社生活設計塾クルー 取締役)が、医師の皆さんの「お金の悩み」について答えます。▽医師ならではの「リスクファクター」を洗い出す▽家計の現状を把握し、将来に向けた「シミュレーション」をする▽「できること」を積み上げて未来を確実なものにする-の手順で、医師に最適なマネープランを提案します。 ここをクリック⇒ 21日(土)開催、医師のセカンドキャリアのための無料セミナー「実りある60代を過ごすために」
(医師対象のセミナーですが、ご夫婦などご家族連れでのご参加も歓迎です)
医療介護経営CBnewsマネジメント
【関連記事】