一味違う総合診療医、新潟でなぜ育つ?
地域医療魚沼学校の布施校長に聞く
急速な高齢化の進展などに伴って、幅広い診療領域に対応でき、保健分野などでも役割を担う「総合診療医」のニーズが高まっている。各地で養成の動きがあるほか、学会の枠組みを超えた専門医制度の準備も進められているが、新潟県の神田健史・地域医療支援センター長は、県で育つ総合診療医に一味違う何かを感じるという。その理由を探るため、総合診療を実践しながら若手医師らを教育する布施克也・魚沼市立小出病院長の元を訪ねた。
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布施氏は、県内の公立病院などでの勤務を経て2008年から現職に就いた。まさに県で育った総合診療医だ。
「住民は医療の受け手であると同時に、医療を育て支える主人公でもある」といった理念を掲げて11年に「地域医療魚沼学校」を開校。校長として、魚沼医療圏(魚沼市、南魚沼市、十日町市、湯沢町、津南町)の住民の啓発や、地域を守る医療関係者らの育成に努めている。
■個別の診療しつつ公衆衛生に取り組む
神田氏 総合診療マインドを持つ医師が増えていますが、新潟で育った総合診療医は、ほかと何か違うと思うことがあります。
布施氏 同じことを度々言われますが、私には何が違うのかよく分かりません(笑)。手掛かりがあるかもしれないので、私が思っていることと、取り組んできた活動についてお話ししましょう。
県内には地域ごとに、誇るべき歴史や文化、それを連綿と続けてきた人の流れがあります。若い人には健康でいてほしいし、高齢の人には元気に過ごしてもらいたい。私は内科が専門ですが、目の前の患者さんを治すのと同時に、地域全体の健康を守る公衆衛生的な活動が必要だと考えるようになりました。
神田氏 先生はずっと総合診療に取り組んでいるのですか。
布施氏 勤務医としてのキャリアの前半は、専門的な診療ばかりやっていました。本格的に地域の健康を守る活動を始めたのは、01年に県立松代病院(十日町市)の院長になってからです。
松代地域の人口は5000人に満たず、退院した患者さんとは生活者同士としても付き合いができました。何百年も続く棚田があり、それを受け継ぐ人たちは誇りと愛着を持っています。
赴任から5年ほど経ったある日、老人会に誘われました。行ってみると同窓会のような集まりで、小学生のころからの親分・子分の関係が続いている。地域が歴史ある一つのコミュニティーなのだと分かりました。
その時、目の前で酒を飲んでいるおじいさんや、にこにこ笑っているおばあさんの健康を維持しないといかん、隣にいる息子さんが両親の世話で困らないようにしないといかんと思ったのです。
■専門外の問題、協力すれば解決できる
神田氏 松代では、診療以外にどんな活動に取り組んだのですか。
布施氏 一つは自殺対策です。県の中で自殺死亡率が高く、精神科医の指導を得て改善に乗り出しました。最初は、専門医が住民に介入する頻度を高めようと考えましたが、マンパワーの問題がありました。
それで、SOSを発信できない人を探す方法を、地域の人と相談しました。すると、独居の高齢者は保健師さんがフォローしているけれど、高齢者の家庭内の孤立は見えないなと。そんなおじいちゃんの顔色を見られるのは、家庭の中に入っていくヘルパーさんじゃないかと。
ヘルパーさんから保健師さん、そして私や専門医に情報をつなぐ仕組みをつくり、自殺死亡率は減少しました。自分の専門外の問題も、みんなで協力すれば解決できるかもしれないと気が付きました。
神田氏 その経験が、魚沼での活動につながっているのですね。
布施氏 はい。協力者が増えるほど公衆衛生が安定すると思ったので、地域医療魚沼学校では、住民全員を医療資源ととらえていろいろな情報をお伝えしています。
例えば地域の小中学校で全生徒に禁煙教育を行っています。教育を受けた子どもが成人した時、喫煙率が下がっていたら健康づくりの一つのモデルになると期待しています。
また、医師会の先生と始めた「プロジェクト8」は、HbA1cが8%以上の人を放っておかないようにしようという意識付けの活動です。糖尿病の重症化予防が目的で、患者さん自身やご家族だけでなく、医療者や健診機関にも呼び掛けました。
結果、魚沼市では8%以上の人の割合が、県内の他地域より1-2ポイント低くなりました。これが将来、重症化率の差になるかもしれません。みんなで取り組み、成果を確認できるので、強いやりがいを感じています。
■自分を相対化、地域のためにスキル生かす
神田氏 先生の活動は、地域を守ろうという気持ちから始まっています。そして、医師がトップではなくメンバーの一人として取り組んでいます。こうした点が、県外にない独特なものだと感じます。
布施氏 当たり前だと思ってやっていますが、そうした特徴は、地域の人と接する中で自分を相対化した結果なのかもしれません。
例えば、臨床研修を終えて赴任した県立妙高病院(妙高市)にはスキーの達人みたいな職員がいて、仕事が終わるとスキー場に連れて行ってもらいました。そこでは私が弟子で、立場が入れ替わるのです。ほかにも山菜採りの達人や、きのこ狩りの名人がいる(笑)。仕事と仕事以外とで役割が入れ替わるのが非常に楽しかったですね。
次の職場の県立十日町病院がある十日町市にも、格好いいおじさんがたくさんいました。冬が来る前に、小学校の遊具をみんなで片付けるのですが、私はやり方が分からない。そこに、道具をたくさん持ったニッカーボッカー姿のおじさんがやって来て、「あなたはこれをしてください」と指示出しするわけです。
医師は、病院でオールマイティーの役割を担うかもしれませんが、外に出ればただのおじさんです。地域の一員がそれぞれ、地域のためにスキルを生かすという関係が、新潟では自然と生まれるのでしょう。
神田氏 なるほど。自分が持っているスキルを生かすということであれば、専門領域を問わず、得意分野を生かして総合診療ができそうです。
■医師を受け入れ、育む土壌がある
神田氏 そして、県の総合診療医がほかと違う理由がようやく分かりました。先生は、地域に育てられたのですね。
布施氏 その通りです。われわれが頑張れるのは、われわれを受け入れ、育ててくれる土壌がこの地域にあるからです。地域のために仕事ができ、地域が応えてくれる。この関係がうれしいのは医者の素直な気持ちだと思います。
神田氏 医師と患者さんとがお互いを尊重できる。昔ながらのそうした関係性が残っているのが県の特徴かもしれません。
布施氏 魚沼地域は今、未来の総合診療に取り組んでいます。基幹病院とプライマリケア施設に機能分化し、これを連携させるという構想です。
私たちは、「地域は一つの大きな病院」という理念を実現させるために、それぞれの役割を担っています。専門診療と総合診療の連携と、相互補完の現場が魚沼にはあります。
地域のかかりつけ医として、救急から看取りまで対応する総合診療の実践、そして「プロジェクト8」のような慢性疾患重症化予防と地域疾病管理、専門診療と連携した総合的な疾患マネジメントが、私たちの最も得意とする分野です。
この地域には、医師を育てるノウハウがあります。10年から毎年、新潟大学の医学生の実習を受け入れ、地域全体で教育に取り組んできたからです。地域住民の生活をベースに発想し、そのために住民を含む多職種が協同実践するcommunity-based medicineを、医学生に伝えてきました。
われわれの総合診療に興味を持ち、魚沼で働き始めた先生には、そうして培ったノウハウを生かして、さまざまなメッセージを伝えられると思います。
神田氏 魚沼で行われているような医師の教育は、県としても全力で支援していきたいと思っています。これからも、たくさんの総合診療医を育ててください。
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