第3話 WHOも重視する住宅の温熱環境
“医住同源”を本気で探るスウェーデンハウス
近年、室温差の小さい暖かい住宅と人の健康の関係性に注目が集まっている。「高気密・高断熱」に作られた室温をコントロールできる住まいは、省エネというメリットにとどまらず、脳や循環器、呼吸器、運動器など、人の健康にとってプラスに作用することが近年の研究で分かってきたためだ。WHO(世界保健機関)は、冬場の室温を18度以上にすることを「強く勧告」し、室温の重要性を世界各国に呼び掛ける。なぜ、室温が大切で、そのエビデンスはあるのか-。「“医住同源”を本気で探るスウェーデンハウス」第3話では、人の健康と室温について研究する第一人者である慶應義塾大理工学部の伊香賀俊治教授に話を聞いた。
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-これまで、どのような研究に取り組んできたのですか。
国土交通省のスマートウェルネス住宅に関する2014 年度からのプロジェクトに携わり、国内で断熱改修前と改修後の住宅を比較し、室温が健康に与える影響について大規模な調査・分析を手掛けてきました。追跡調査も行っています。こうした研究を通じて分かってきたのは、暖かい家は健康に多くのメリットをもたらすということです。
-寒い部屋に住むと、どのような影響を受けるのでしょうか。
まず第一に、血圧が上がる傾向がみられます。
例えば30歳男性の場合、朝起きた時の血圧は、室温20度の部屋にいるのと比べて10度の部屋にいるほうが3.8mmHg上昇することが分かりました。血圧は年齢が上の人ほど着実に高くなります。80歳男性であれば、20度の部屋に住んでいても既に高血圧基準の135mmHgを超えてしまっており、それが10度の部屋になると血圧は10.2mmHg上昇して150mmHg程度に達してしまいます。
血圧を抑制するためには、30歳の男性の場合は20度に、80歳男性だと25度まで暖かくしなければなりません。また女性は男性より代謝量が低いので、30歳代女性の場合、血圧抑制のためには男性よりさらに2度くらい暖かくする必要があります。
-この調査では、断熱改修後には男女合わせた試算として「起床時の血圧が平均で3.1mmHg低下した」という分析が示されています。どれくらいのインパクトなのでしょうか。
血圧が約3mmHg下がるということは、日本の健康政策「健康日本21」(厚生労働省)の第二次の数値目標(40-80歳代の国民の最高血圧を平均4mmHg低下させる)に匹敵します。この数値目標を達成すれば、年間に脳卒中で亡くなる人が約1万人、冠動脈疾患で亡くなる人が約5,000人だとして、1万5,000人を救うことができると推計されます。
そして血圧以外でも、室温が18度未満だとコレステロール値が基準を超えたり、心電図でも異常所見の割合が増えたりすることが分かりました。
コレステロール値では、室温18度以上を基準(1.0)とすると、居間の床上1mの室温が12-18度だと、健診結果で基準範囲を超える人の割合が1.7倍になりました。
また心電図異常所見についても、12-18度だと基準に対して1.79、12度未満は2.18という結果だといいます。このほか過活動膀胱でも、12度未満の室温だと1.4倍になり、悪影響が確認されました。
「足元の温度」や「部屋間の温度差」に着目した調査も行いました。その結果、居間だけではなく、家中の各部屋が足元から暖かいことが重要だということが分かりました。
たとえ気密・断熱性能の低い家で、エアコンで暖房をしても、下の方まで暖かい風が届かないと足元の血流は低下します。そうすると皮膚温がさらに下がって、冷えを余計に感じ、自律神経などに影響を及ぼします。
足元が暖かい住まいだと、女性特有のPMS(月経前症候群)や月経痛が抑制されるというデータも、この調査結果から出ています。
他にも部屋と部屋の室温差があるかどうかで熱め・長めの「危険入浴」をする人の割合も変わります。居間の室温が18度以上でも脱衣所が18度未満というだけで、どちらも18度以上の場合と比べて1.5倍に増えてしまいます。
-温熱環境というのは、要介護認定の推定年齢にも影響があるのでしょうか。
あります。高齢者約200人を対象に要介護認定の推定年齢に関する調査を行い、冬場の居間の室温に注目して、平均15度の住まいと17度の住まいを比較しました。
そこで得られたデータからは、要介護認定の推定年齢が前者だと78歳だったのに対し、後者だと81歳となり、3年も違うという推計が出されました。
日本人の要介護期間の平均は男性が9年、女性が13年ですから、それが2度暖かいだけで3年短くなるという結果です。介護給付費を3年分支給しなくて済む人が増えると、国全体で考えたら相当な負担軽減につながると考えます。要介護になる原因は人それぞれですが、そのうちの一つである認知症に関する研究でも、室温1度の違いで脳年齢が2歳若く保つことができると分析しています。室温は脳にもしっかり現れると言えます。
-日本には健康に優しい住宅が多いのでしょうか。
少ないです。WHOでは、健康のために冬季の室温を18度以上にすることを、新築・改修時の断熱化と併せて世界各国に勧告しています。しかし調査の対象となった約2,200軒のうち、冬場の平均室温が18度を満たさない家が9割もありました。
全国での地域格差も大きいことも分かりました。寒冷地である北海道は、自治体の政策で住宅の基準を厳しくしてきたことなどから断熱がしっかりした家が多く、居間の平均室温は約20度とWHOのガイドラインを余裕をもってクリアしていました。しかし、それ以外の地域では軒並み18度以下でした。
-建築学を専門としながら、なぜ健康とのかかわりを研究しているのでしょうか。
諸外国では住まいの状況で居住者がどんな病気にかかりやすいかという研究が先行する中で、日本では国の政策に反映するレベルでの研究が動いていないことが問題だと思ったためです。
住環境の重要性については古くは1860年のナイチンゲールの看護覚え書にも、単に治療すればよいということではなく、治療とセットで住む環境、換気や暖房、日光といった療養環境も大事であると示されているとして、その後イギリスでは健康政策にも反映されました。
しかし住宅の気密・断熱が健康を左右することは、日本ではまだあまり認識されていません。日本では今まで健康政策に“住宅”という観点が抜けていましたが、もっと医療と建築とが連携していく必要があります。そのため研究を続けてエビデンスを充実させるようにしていますが、まだ医学界全体の合意事項にまでは至っていない状況です。
ただこうした中でも、2023年5月に発表された厚生労働省の「健康日本21」(国民の健康作りに向けた基本計画)の第三次の基本方針に、“住宅対策”としては盛り込まれなかったものの、今回初めて“建築・住宅等の分野における取組と積極的に連携することが必要である”という一文が追記されました。「大きな前進」だと捉えています。
-気密・断熱対策が進めば、将来的には医療費の削減につながる可能性もあるのでしょうか。
そうなるのではないかと思います。健康政策に住宅対策を反映できるよう、今後も研究成果をどんどん医学論文として出していくつもりです。また、一般の人に向けてもっとこの住宅の気密・断熱問題を認識してもらうため、啓発活動も重要だと考えています。そのためにも、医学系の先生方に事あるごとに知ってもらう活動を行い、各分野にその情報をきちんと周知したいと考えています。
医療介護経営CBnewsマネジメント
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