新潟で地域医療の「その先」が見えてきた
これまでの多様な経験を生かす医師の働き方
医師国家試験の合格者数は毎年1万人近い。その目指す先はさまざまで、基礎研究に没頭する人もいれば地域医療に身をささげる人もいる。それらのキャリアは不連続で、途中で別の道に移るのは一見難しい。しかし、そんな多様な仕事を一直線につなげ、やりがいある地域づくりへと生かす取り組みが新潟県・魚沼医療圏で進んでいる。県の神田健史・地域医療支援センター長は「地域医療にこれから参入したいと考える先生もサポートできる体制がここにはあります。医師としてのこれまでの経験を基に、やりがいを感じてみませんか」と、新潟への再就職を呼び掛ける。
【関連記事】
■県最大の医療圏、総合力高い医師が育つ基盤
県南東部の5市町(魚沼・南魚沼・十日町の3市と湯沢・津南の2町)から成る魚沼医療圏は、県内7医療圏の中で最大の面積(約2649平方キロメートル)を誇る。そこに住む約17万人の健康を、医科・歯科の約200医療機関で支えている。
「地域完結型医療」への転換を目指して圏内にある4つの公立病院の再編を決め、高度・急性期機能を担う「魚沼基幹病院」(南魚沼市、454床)を2015年に新設した。それと合わせた4病院の役割や病床規模の見直しは、医療提供体制を再編する先進モデルとして全国の医療関係者の注目を集めている。
魚沼医療圏の公立病院には、若い医師を育てるノウハウの蓄積もある。地域医療に燃える医師が基礎を築き、新潟大学の医学生らに地域医療教育を行ってきた歴史があり、総合力が高い医師を数多く育て上げてきた。
新設の魚沼基幹病院には、新潟大学の地域医療教育センターが設置されている。今年3月に基幹型臨床研修病院の指定を受け、全国から研修医が集まるマグネットホスピタルとして本格的に稼働する準備が整った。
■「地域医療を学問に」論文書く大切さを若手医師に説く
医師を育てる取り組みは、それにとどまらない。11年に開校した「地域医療魚沼学校」(校長=布施克也・魚沼市立小出病院長)も、地域を守る医療関係者をさまざまな切り口で育ててきた。
昨年度からは「TMM講座」を開催している。今年度は全5回で、県内の研修医が主に参加する。TMMはTotal Medical Managementの略で、患者の生活まで行き届く総合的な診療能力を身に付けさせるのが狙いだ。そこでは、患者の診方だけでなく、診療を論文にする大切さも説く。
受講者は土曜日の午前中、小出病院の講堂に集まる。「患者さんが息苦しさを訴えたら、問診でどんなことを聞きますか」-。そんな講師の問い掛けに答えを出しながら、正確な診断に必要な技術を磨いていく。
そして、地域医療で患者を診た経験から論文を書く大切さを伝え、書き方や着眼点を教える。忙しい診療の中で感じた疑問をそのままにせず、症例として論文に残すことで、独り善がりの診療に陥るのを防ぐ。そんな向上心を持ち続けてほしいという開催者側の願いが込められている。
■医師のすべての仕事が一直線につながる
講師の一人は、日本の再生医学研究の第一人者である小林英司・慶應義塾大学特任教授だ。新潟は小林氏が9年間医師として勤めた地であり、とりわけ魚沼では研修医時代に経験を積んだ。
そんな小林氏が講師を買って出たのには訳がある。医学部の教授として多くの医師を育てた今、当時を振り返ってこう思ったのだ。
「どんな先端医療も基礎の研究から始まり、臨床研究を経て広く患者が享受するようになります。その流れの中で、私はBasic Medicine(基礎医学)からClinical Medicine(臨床医学)までをつなげる役割を担ってきました。それにはTranslational Research(橋渡し研究)という名前が付けられています。しかし、臨床医学を現場に合わせてCommunity-based Medicine(地域医療)まで引っ張っていく力には名前がまだない。魚沼ではそれが実践されていて、そこに行けば医学を一連とする学問手法が分かる気がしたんです」
そうしてTMM講座に参加する中で、小林氏はそれが「TMM(Translational Medical Management)」と呼べるものだと考えるようになった。医師が大学などで学ぶ臨床医学は、そのままでは地域医療に生かしづらい。魚沼医療圏では、それを地域医療に応用できるように“翻訳”(Translation)していることに気が付いた。そうなると、基礎医学と臨床医学、地域医療の3つをつなげて、直線上に並べることもできる=図=。
「この図の中に医師のすべての仕事が入っている。そして、すべてがつながっている。そんな学問的概念を普及させることで、TMMの発祥の地として世界から注目される可能性が魚沼にあります」(小林氏)
■学び続け、それを積み重ねる
7月の講座の後、そうした概念を小林氏から聞いて、布施氏は「すごく面白い」とつぶやいた。魚沼医療圏での自身の取り組みを説明できていると感じたからだ。
その場にいた鈴木善幸・小出病院地域医療教育・研修センター長は、医療を“翻訳”する取り組みの具体例を紹介し始めた。「魚沼Common Disease研究会」だ。
その研究会は布施氏や鈴木氏が1995年に立ち上げ、今でも地域の多職種が参加している。立ち上げの目的は、地域全体で診療を標準化させることだった。
「同じような疾患に対する治療が、医療機関や医師によって違うとしたら変じゃないか。先生がどんなに一生懸命でも、標準化されていないことをやっていて患者が幸福になるのか。そう感じたんです」(鈴木氏)。
研究会の主なテーマは、地域でよくある一般的な疾患(Common Disease)。大学にいたころは診ることが決して多くなかった。「地域に出て初めて、足りない知識や技術に気が付く。それなら足りないものを学び直して、できるようになりたいですよね」と鈴木氏は話す。TMM講座では鈴木氏も教鞭を執り、学び続けることの大切さを若い医師に伝えている。
医師になって30年ほど学び続けた。それでも、普通のことを普通にやるのは難しいと痛感している。「10年前には正しかったことが、今は間違いなんてことも結構ある。だから、地域で実践しながら、疑問を持ちながら、常に磨き上げていかないといけないんです」(鈴木氏)。
魚沼医療圏では、そうやって地域の課題と多職種が向き合い、少しずつ改善を積み重ねてきた。布施氏は「どの職種も協力的だから続けられることです」と話す。
■どんな経験も、新潟なら地域づくりに生きる
小林氏の図の矢印の先には何があるのか。「地域の人たちの幸福では」と布施氏が案を出すと、小林氏も鈴木氏も大きくうなずいた。
「われわれ社会保障の人間が考える地域の幸せは、安全と安心です。そして今考えられる目標はCommunity-based Integrated Care(地域包括ケア)であり、それを実現するための医療がCommunity-based Medicineではないでしょうか」(布施氏)。
地域住民の幸福がゴールだとすれば、その方法は疾病の治療に限らない。そもそも病気にならないための健康づくりも重要だ。地域医療魚沼学校では、「住民こそ医療資源である」を理念に掲げ、住民の主体的な参加を促す健康づくりにも熱心に取り組んできた。
例えば、地域の医師会と連携して取り組む「プロジェクト8」は、HbA1cが8%以上の人がいたら何らかのアクションを起こそうという運動だ。糖尿病の重症化予防を狙い、地域の住民や医療者、健診機関を巻き込んできた。また、小中学校での「禁煙教室」や、自治体の保健師活動への医師の同行などにも力を入れている。
医療を提供し続けるため、地域の医療資源を育てる活動も行ってきた。その一つが中高生の病院職場体験だ。体験を終えた学生からは、「将来、看護師になりたいと思いました」といった手紙も届いた。そうして地域づくりの効果を実感し、改善点を探りながら、次の取り組みに生かしている。
布施氏は、医師の多様な経験が地域づくりに生きると指摘する。それは、「これまでにやってきたことがBasic MedicineでもClinical MedicineでもCommunity-based Medicineでも、地域社会の幸福のためにやった点に変わりがない」(同)からだ。そして、「ゴールに一番近い所でやりがいを感じてみたいという先生には、きっとそのポジションを提供できます」と話す。
■患者が医師を育てる「新潟の特徴」
臨床医学から地域医療への“翻訳”や、それを生かした地域づくりが魚沼医療圏で盛んなのはなぜか。地域医療支援センター長の神田氏は、「新潟県の特徴」が関係しているとみている。
「医療圏を越える流出入は少ないけれど、医療圏内で患者さんが動くという特徴があります。それは魚沼医療圏に限った話ではありません。患者さんが動くということは、隣の病院とやることが違うとまずいよね、という話になる。それじゃあ一般的な治療を考えようということで、それぞれの地域で標準化が進んできたのではないでしょうか」(神田氏)。
つまり、地域の住民が医師を育て、医師が住民の健康を守る。そんな関係が、新潟で働く医師にやりがいを与え、成長させてきたというわけだ。新潟で新たに働く医師にも、これまでの他分野での経験を生かす場所と、医師としてのやりがいを与えてくれるはずだ。
医療介護経営CBnewsマネジメント
【関連記事】